少女は自転車にのって

少女は自転車にのって」という映画を観ました。

監督:ハイファ・アル=マンスール
キャスト:ワアド・ムハンマド、リーム・アブドゥラ

爽やかな映画、と言えなくもないが、実質的には因習に囚われた悲劇のような映画の気もする。
因習というのはある意味制約だと思うが、録画してあったものを先日観たテレビでは制約があることによってよりよい芸術作品ができる、というような話がありました。
Embrace the shake
「震えを受け入れる」

制約の中で創造することは、不思議に思えるかもしれませんが、マンネリを脱し、常識を破るには、最高のやり方なんですよ。

そういう見方もできはするかと思いますが、この場合は制約というか抑圧のような気もしますね。

そこでふと思ったことは、アラブ諸国は女性に対する戒律が厳しいわけですが、これは男性が優位に、楽に過ごすためなのではないか、ということです。
女性が男性と同等に働くようになれば、能力が劣る男性は仕事がなくなるでしょうし、一夫多妻もどうなるかわかりません。
能力による差異以前に性による優位、劣位があれば、優位にいる男性は女性の社会進出や戒律破りを許したくないというのが道理。
だから、西洋かぶれの女性が現れるのを恐れているようにもみえる。

男性優位、女性劣位のように見えるアラブ社会という図式をもう少し普遍的に見てみると、既得権益を持っている人と持っていない人、つまり、既得権益を持っている人は既得権益をなくしたくないので、制度でそれらを死守しようとしたり情報を隠したりする、ということのような気がします。
中国などは情報規制しまくりでしょうし、日本もこれから特定秘密保護法などで情報規制の下地を作りつつあるような雰囲気もあります。
それらを糾弾してもよさそうなマスコミは、冤罪を作る元凶と言ってもいいくらいなレベルなのでマスゴミですよね。

映画の話に戻ると、自転車に乗るのは楽しそうですねw
そして、少女のために自転車を売らずにとっておいた店主がいたりして、実際のサウジアラビアがどんな社会かは全く知りませんが、現実はだいぶ雪解けてきているのかな、と思ったり思わなかったり。

個人的には、母親役のリーム・アブドゥラ、というか母親役の境遇もちょっと考えさせられるところがあった。一夫多妻で夫が第二夫人を娶るということのようですが、第一夫人であるリーム・アブドゥラは自分で働いて娘を育てる。。。実際には夫からも経済的な援助があるのかもしれないけれど、しっかり養えもしないのに第二夫人を娶るとは、、、男の子を授からなかったというところも影響しているのかもしれないけれど。。。そこは一つの問題点のような気もしますし、あえて大きく触れなかったところのような気もしました。


少女は自転車にのって@ぴあ映画生活

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