三里塚に生きる

三里塚に生きる」という映画を観ました。

監督:大津幸四郎、代島治彦
朗読:吉行和子、井浦新

小川プロダクションが残した映像も交えての作品となっている。

「1966年、農村地帯である成田市三里塚に、日本政府は一方的に国際空港建設を決定。」ということで、地元の理解を得ようともしない強権な国だったんだなと思いました。そしてその根本は今も同じだということだ辺野古基地建設で垣間見えますね。一方的に建設をしているわけではありませんが、民意を無視するという点では同じなような気がします。
辺野古では、はからずも反対派警官らは地元民もおり、顔をさらしたくないからマスクとサングラス、という話もあります。また、基地従業員は表立って反対できないという話もあったりします。要するに、今の自分の生活が最優先、今得られるお金が最も大事、ということですね(もし自分が職人であったり農家であったりしたなら、このような人たちには自分が作った商品を売りたくないですね)。
今の自分の生活が大事という延長線上に、愚かな経済振興優先という地方政治があるような気がします。基地に依存した経済が長続きしないであろうことはすでに分かっていることです。真の経済振興は自らがアイデアを出して長期的視野で進めていく必要があるのではないでしょうか。北谷町にしても那覇新都心にしても、今春できるイオンモールライカムにしても、基地がなくなっても新たな経済振興を作り出せることが証明できているのではないでしょうか。まぁ、地理的な条件はあるでしょうけれど。。。

さて、三里塚に生きる。
時代もあるのでしょうけれど、反対運動はけっこう過激なようでした。
詳細はよくわかりませんが、「移転するのが嫌だというのではなく、相談もなく勝手に決められたことが許せない」というような趣旨の話があり、印象に残っていますね。「騙し討ちのお国柄」なのかなと悲しい気持ちになりました。

技術的に考えると。
垂直で離発着できて騒音も少ない乗り物が開発されたら空港問題というのはとても緩和されるのではないかと思いました。そういった意味で、「技術」というのは人を幸せにすることができるのかな、と思います(もちろん悪用されると不幸せにもなるかもしれませんが)。
太陽光発電の発電効率が上がれば、原発もいらないでしょうしね。各家庭で発電すれば送電線も必要なくなり電力ロスも減ります。電力会社も今みたいに殿様商売してられなくなって、電力業界からの恩恵を受けている議員や団体は困るかもしれませんがね。

物的な技術だけではなく、商売する技術があれば、基地や補助金に頼る政策を苦渋の選択することはないのかもしれないですね。また、技術がないならないでそれに甘んじるという選択もあるような気がします。
起業して生活できず仕方なくサラリーマンをやるのと似てる気がします。

しかし、今の日本は反対運動が三里塚の抵抗運動やコザ騒動ほど過激ではないので政府は助かっていますよね。裁判所や大マスコミも基本的には政府の手先のようなものですしね。

三里塚に生きる@ぴあ映画生活

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