「ハニーランド 永遠の谷」という映画を観ました(2020/10/11)。
監督:タマラ・コテフスカ、リュボミル・ステファノフ
ギリシャの北に位置する北マケドニアで作られたドキュメンタリー映画。
主人公は、首都スコピエから20キロほど離れた、電気も水道もない故郷の谷で、寝たきりの盲目の老母と暮らすヨーロッパ最後の自然養蜂家の女性。「半分はわたしに、半分はあなたに」それが持続可能な生活と自然を守るための信条。しかし、彼女の平和な生活は、エンジン音とともに7人の子供と牛たちを引き連れてきた一家の襲来で激変する…。
「3年の歳月と400時間以上にわたる、対象との親密な関係の中で撮影された」とのこと。
おそらく三度ほど出てくる、絶壁のような所で蜂蜜を採るシーンは見ごたえがある。
ただ蜂蜜を採りに行くだけなのに。
静かに、自然を敬いながら、身の回りの環境に配慮して暮らしていた所に、エンジンがやってきて、長期的な持続性よりも目先の利益を優先する人たちがやってくる。
ある意味、そのような人たちをも映像に収められたことに対しても驚いてもよいかもしれない。
お金を出せば映像は撮らせてくれたかもしれないが。
煽り文句で、農牧の必要性とかネオリアリズモの寓話とかの言葉があった。
そのようなことを言うのは、単なる煽りなのか、都会で便利な所に住んでいる人たちの口先だけのものなのか。
確かに農牧は必要かもしれないが、経済が優先される。
コロナ対策と似ているような(苦笑)
しかし、養蜂でいえば、日本でも移動養蜂を行っている人たちもいるらしいし、田舎のほうへ行けば、自給自足に近い営みを行っている人たちもいる。
見ため上は、都会にもある様々な娯楽に毒されたりすることもあるだろうけれど、もし、何かあっても、地に足がついていて、生活力、生命力が強い人たちがいる、と思う。漁師、猟師などもそうかもしれない。
一部の景色はとても美しい映像だった。それは人の気配がないからなのかもしれない。
しかし、主人公は映画の中の生き方を自分で選び取ったのだろうか。
そんなことを思った。
そして、思い出したのは二つの映画。
「ニーチェの馬」
「世界の果ての通学路」
やはり、毎日でなくてもよいかと思うが、笑顔や満足、充足感のある暮らしがよいのではないか。
そんなことも思ったりした。
現在、閉塞感を持っていて弱っている人は、エンジン音が聞こえる前か祭りのあたりで観るのを止めることをおすすめするw
最後まで観ると、不安や悲しみの感情を持ってしまうかもしれない。